第二言語。

こんばんわ。Dです。

 

初めに申し上げておきます。

 

私は決して人種による差別などのヘイトスピーチをするつもりは毛頭ございません。

ただ日々あることに対して率直な感想を述べさせていただきます。

 

さて、本題ですが、それは私のバイト先でのお話です。

 

私は銀座でバイトをさせていただいているのですが、

 

銀座は非常に外国の方が多い街です。

 

私はインフォメーション業務をしているわけではないのですが、

 

よく道を尋ねられたり、店の情報を尋ねられたりします。

 

日本人のお客様は、親切な店員の対応が当たり前と思っている方がいる点を除けば、概ね良好な方が多いです。

 

まあ、たまに尋ねておいて「ありがとう」の一言も言えない不届き者はいますが。

 

欧米人のお客様は非常にフレンドリーです。

 

基本的に欧米人は「いらっしゃいませ」とお声がけすると、

 

ニッと笑顔で会釈してくれます。

 

店員側からすると、非常に心温まる瞬間です。

 

韓国のお客様は基本的に英語で話しかけてくれます。

 

英語はある程度私も話せますので、全く問題ありません。

 

反日だどうこうというネットニュースの事を忘れるくらい、笑顔を見せてくれる時もあります。

 

さて、中国の方。

 

中国の方々は、本当に良し悪しが分かれます。

 

良い人は基本的に笑顔ですので、物腰柔らかな印象を持ちます。愛想もいいです。

 

悪い人は、まず堂々と中国語で話しかけて来ます。

 

ここは日本で、あなたは旅行者ですよね?

 

旅行者なんですから、普通はその国の言葉か、英語を使うのが礼儀じゃないですか。

 

そして中国語が通じないとわかると、「話にならない」というふてくされた態度で去っていきます。

 

使うにしても、通じない前提で来ていただきたいものです。

 

そして、非常にうるさいです。

 

公共施設で、なぜあれだけの大きな声で話す必要があるのか。

 

理解ができません。

 

また、何かとびっくりするような事件が起きたという時、

 

7割方、中国の方が関わっている印象です。

 

直近ですと、トイレに行かずに、なぜかペットボトルに用を足し出した方がいたそうです。

 

理解ができません。

 

 

ここで、気づいた事があります。

 

タイトルで薄々感づかれた方もいらっしゃるかもしれませんが、

 

第二言語を使える方に良い人が多い。

 

これに気づきました。

 

第二言語を使える人というのは基本的に目に余る行動をしないように感じます。

 

これはなぜか。

 

やはり第二言語を習得するという事は、

 

世界に目を向ける。

 

という事なんだと思います。

 

そして、世界に目を向けれる人というのは、

 

多様な価値観や習慣を許容するだけの器を持つ人なのだと思います。

 

二十数年間生きてきて、ようやく第二言語の意義に気づきました・・・。

 

いくら自国の規模が大きいからといって、

 

他国の事をないがしろにするようではいけませんね。

 

反面教師にして、日本はもっと第二言語の習得に力を入れるべきだなあと

 

ふと思った冬の夜でした。

 

D

「ついている。」

こんばんわ。Dです。

 

突然ですが、

 

私はついています。

 

それは、

 

「運」と「霊」

 

そのどちらもだと思います。

 

・・・。

 

決してアブナイ人ではないので、ご安心ください・・・。

 

 

 

ある日、こんな記事を見つけました。

 

netgeek.biz

 

そうです。

 

これ、私の生まれ年なんです。

 

(あまり個人情報を書き込む事はいけないのでしょうが、これだけは書きたいので仕方なしでしょう。)

 

 

 

記事を見ていただければわかるのですが、

 

18卒(1995年生まれ)の人生

 

誕生→阪神淡路大震災・オウムサリン事件

幼稚園卒園→9.11

小学校入学→ゆとり開始

中学入学→リーマンショック

中学卒業→3.11

高校卒業→ゆとり終了(この世代だけ12年フルゆとり)

大学入学→増税

就職→イギリスEU離脱で氷河期。

 

・・・。

 

ひどい。ひどすぎる。

 

 

 

確かに思い返してみると、

 

何かしら大きな事件が受験の度に起こっていたような。

 

そんな気がします。

 

「ついていない。」

 

・・・。

 

いえ、

 

「私はついている。」んです。

 

 

 

確かに私は魔の18卒かもしれません。

 

しかし、

 

私個人としてみれば、

 

こんな環境に恵まれた人間がいないだろう。

 

と自信を持って言えます。

 

 

 

大学受験失敗しました。

 

しかし、滑り止めの大学に入学して、

 

そこでしか経験し得ない経験と

 

友人をいっぱい手に入れました。

 

無事希望の会社から内定もいただけました。

 

 

 

そして、何より、

 

この歳になってわかる事。

 

それは良い親を持ったという事。

 

恵まれている人生だとこの歳になって初めて感じました。(だいぶ遅い)

 

 

 

つまり、

 

たしかに1995年生まれは運が悪く、災難に見舞われやすい代なのかもしれませんが、

 

逆に日常における運の強さは天下一なんだと思います。 

 

 

 

私の好きな古畑任三郎警部補はこうおっしゃっています。

 

「人生、プラスマイナス0でできているんだよ。」

 

マイナスが大きい分、プラスも大きいんです。

 

 

 

さて、急に話が変わりますが、

 

私は去年、祖父を亡くしました。

 

それは決して事故ではなく、天寿を全うされて亡くなりました。

 

私は小さい頃から祖父に非常に可愛がられて、目をかけていただきました。

 

そんな祖父が突然亡くなってしまった事。

 

本当に悲しくて悲しくてたまりませんでした。

 

 

 

祖父が亡くなってから、

 

私は就職活動という大きな壁が立ちはだかりました。

 

無論、いろんな方々の支えがあって成功したのですが、

 

私は絶対に、

 

「おじいちゃんが背後霊として見守ってくれていた。」

 

そう思います。

 

だから、私はうまくいったんだと。

 

 

 

期待に沿えたかわかりませんが、

 

これからも1995年生まれとして、精一杯生きていきたいと思った1年でした。

 

おじいちゃん、ありがとう。

 

 

 

「私はついている。」

 

 

 

D

初めまして。

初めまして。Dと申します。

 

この師走の忙しい中、

 

ブログを始めます。

 

 

私の事を簡単に記述しますと、

 

・男性

・来年(2018年)から新社会人

・A型

・交友関係は狭く深く

 

といった者であります。

 

 

このブログのタイトルは、

 

「私の思う処。」

 

 

最近、様々な考えさせられる事柄があります。

 

それは社会問題だったり、プライベートでもあったり。

 

考える癖ができたと自分の成長を褒めてやりたいところですが、

 

自分ひとりで考える事。= 偏向的な人間へ。

 

という漠然とした不安が同時に生まれました。

 

 
世の中の方との議論の中で自分の考えを精錬したい。

 

 

そんな想いを持ってはてなブログさんにお世話になる事にしました。

 

 

きっと読者の皆様には様々不愉快な思いをさせてしまう事も時にはあるかもしれませんが、

 

私の徒然なるままに書いていこうと思います。

 

よろしくお願いします。

 

D